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「祝婚歌」にみる人間関係にとって大切なこと

 みなさんは吉野弘という詩人を知っていますか?国語の教科書にのっていることもありますね。「夕焼け」「生命は」などいろいろ代表作がありますが、その中の一つ、「祝婚歌」という詩を取り上げてみたいと思います。

 

 「祝婚歌」は結婚する二人に向けてのメッセージといった内容の詩です。実際今でも結婚式でよく朗読されています。私も友人の結婚式で、新婦の友人代表が朗読し、新婦だけでなく読んでいる本人も泣きじゃくって読んでいたということがあり印象に残っています。

 

 しかし、あの詩は結婚する二人や夫婦、恋人同士だけでなく、そのほかの多くの人間関係にとっての真理ではないかと思うのです。特に親子関係や友人関係といったプライベートな人間関係には、とても重要な考え方のヒントになると思っています。

 

 言葉も美しくリズムも素晴らしいため、本当は全文一気に紹介したいのですが、それはみなさん独自にお読みいただくとして、少しずつ引用して私の思うところを書いていきます。

 「祝婚歌」

  「二人が睦まじくいるためには」

  「愚かであるほうがいい  立派すぎないほうがいい」

   (略)

  「完璧なんてめざさないほうがいい」

  「二人のうちどちらかが  ふざけているほうがいい  ずっこけているほうがいい」

 

 どうでしょうか。詩の最初は人間関係は立派や完璧を求めないほうがいいと伝えています。これは私の心理相談の経験からいうと、特に親子関係と夫婦・恋人関係にとってとても大切ではないかと思います。親は子がいかにだらしなくて勉強や仕事に熱を入れないか、子はいかに親が無理解で自由をしばりつけてくるか訴えてきます。夫婦恋人も、いかに相手が自分を理解してくれないか、欠点だらけかを訴えてきます。また、自分がいかに欠点だらけかと悩む人もいます。

 でも、人間って立派で完璧を目指すほど、うまくいかなくなるものです。立派や完璧というのは、その人の内的な理想の押し付けと投影にすぎないことが多いのです。人間というのは生き物です。不完全であいまいで、他者の投影をすべて引き受けて生きるなんてことができるわけがありません。相手に立派であることを求めるとき、それは自分にとっての理想を押し付けているのではないかという疑いを持つこと、そして他者への理想は実現しないという前提で関係を持っていくほうが楽で楽しいのではないでしょうか。相手の欠点をみて、立派すぎないほうがいい、と心でつぶやいてみるのもいいかもしれません。さらに、自分の欠点も同じように思ってもいいのかもしれませんね。

 

  「互いに非難することがあっても  非難できる資格が自分にあったかどうか  あとで  疑わしくなるほうがいい」

  「正しいことを言うときは  少しひかえめにするほうがいい」

  「正しいことを言うときは  相手を傷つけやすいものだと  気付いているほうがいい」

 

 次に、相手への非難、攻撃することをやさしくたしなめています。これも人間関係に大切でしょう。親が子を叱るとき、教師が生徒を注意するとき、相手の行為、しぐさ、態度に腹を立てたとき、この言葉を心にとめておいて思い出してみてください。最近は正義感を振りかざした暴力暴言が多いですね。SNSの書き込みはいっそうそういう思いを強めます。街で録画された暴力行為がニュースで流れることも多いですが、あんな野蛮な暴力をふるっている加害者も正義や正当な怒りを感じているものです。虐待をしつけと言うのもそうです。

 

 これはプライベートな人間関係だけでなく、クレーマーとかモンスターと言われる人やマイノリティへの差別など社会問題、そして国家間や民族間の争い、ヘイトにも通じるものでしょう。

 

 さらに、われわれ心理療法家も心しなければならない言葉です。解釈や理論の当てはめによって、クライエントを傷つけていないか、ほかの流派や学会の技法や方針への批判はどうか。教育分析を受け投影など防衛や人の自己中心性について詳しいはずの心理療法家や研究家でさえSNSの発言を見ているとどうも攻撃的になってしまっているようですね。

 

 果たして、あなたに怒る資格があるのですか?いくら理屈上正しくても、正しいことは相手を傷つけやすいという視点はありますか?ああ、自分の価値観の押し付けだ、自分だってミスはする、正論で相手を追いつめる資格が自分にあるのか?と自分に問いかけてみてはどうでしょう。この詩を心にとめておくと、怒る資格と同時に怒る気持ちも失われるかもしれません。

 

 さて、われわれは立派さを求めたり、相手に怒ったりという緊張に心身をゆだねないで人間関係を生きることはできないのでしょうか?

 

  「健康で  風に吹かれながら  生きていることのなつかをしさに  ふと  胸が熱くなる」

  「そんな日があってもいい  そして  」

 

 詩の最後は、余計な緊張をしないでリラックスしていることへの願いが書かれます。完璧だの正義だの理想だのを主張して緊張するより自然を感じること。それも光や風のような外的自然と同時に、呼吸や胸の熱さといった人間の内的な自然を感じること。それを共有することこそが人と人とのつながりの基本なのではないでしょうか。相手への要求や怒りが出たとき、周囲の自然や自分の身体を感じてみるのがいいのかもしれません。漫画家水木しげるの名言「けんかはよせ 腹がへるぞ」というのも、同じような感覚なのかもしれませんね。感情的になったときは、感覚に集中する。他者への理想や悪を投影したのを引き下げて自分の感覚を大切にして、それを親しい人と共有する、そんな関係が心地よいんでしょうね。

 

 

 「 そして 」のあとは省略します。ぜひご自身で「祝婚歌」を結婚と関係ない視点でも読んでみてください。

 

 なおしらかば心理相談室では、クライエントさんに本の貸し出しもしています。田多井が昔読んでいて、心理学的に重要とか感動した古い本を並べています。吉野弘の詩集もあります。今回の「祝婚歌」もそこから引用しました。  

    吉野弘 「贈るうた」 花神社  写真をご覧ください。

 こちら以外でも「祝婚歌」を収録した詩集は出ていますね。