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人差し指はそえるだけーマインドフルネス的身体と合気道

 

 3週間ほど前ですが、NHK、Eテレの「あしたも晴れ!人生レシピ」という番組に心身統一合氣道会の会長、藤平信一先生が出演されていました。疲れにくい立ち方や身体の動かし方を教えていまして、家事にも応用していました。私も興味深く拝見しましたが、その中で藤平先生が言われていた小指の役割ついて今回は考えてみたいと思います。

 

 藤平先生はバッグを持つときに、人差し指でなく小指を意識して持つようアドバイスしていました。スタジオの出演者も楽になったと驚いていました。

 確かに合気道では小指を重視します。典型的なのは剣・刀を持つときですね。一般的には何かを持つとか握るときには、人差し指と親指を主に使うとお思いかもしれません。しかし合気道ではそれらは軽く触れるくらいで、小指、薬指をメインにして剣・刀を握ります。これはためしてみるとすぐわかるのですが、握るときに人差し指と親指を意識して力を入れると、腕、肩にとたんに力が入ってしまいます。これはそんなにパワーが出ないうえに疲れます。長く続けると肩こりや痛みにもつながってしまいます。しかし、小指をメインにすると、腕肩に余分な力が入らず、臍下丹田、つまり腰や腹の内部中心とつながる感覚があります。そうすると楽でありつつ強力に支え、振り、動かすことができます。素手でも、多くの技で腕を動かすときは、気が臍下丹田から腕の小指側を流れて指先から放出されるイメージをしています。

 

 藤平先生は小指は「支える指」だと言われていました。これを聞いた時私は、小指はマインドフルネスでいうところの「あること(being)モード」にあたるのではないかと思ったのです。逆に人差し指は「すること(doing)モード」となるのではないか。

 

 マインドフルネスとは、近年心理療法に取り入れられちょっとしたブームになっている方法です。元になっているのは禅仏教、あるいはヨーガの瞑想です。本来日本、あるいはアジアにとってはむしろ得意であるはずのものですが、心理療法においてはアメリカからの逆輸入です。アメリカにて認知行動療法に受け入れられ、それを日本の認知行動療法の先生方が紹介していったという流れになります。

 今この瞬間に、価値判断することなく意識を向けるというのがその定義になっていて、そのために瞑想が重視されます。頭に浮かぶ考えやイメージをそのまま流れるままにしていく、あるいは呼吸に意識を集中することで考えやイメージに意識が及ばなくなるという練習を重ねていくうち、悩みや不安、うつ、トラウマなど自分を苦しめているものを受け入れる姿勢ができます。そうすると興味深いことに、悩みや苦しみを変えよう、治そうと意識していたときよりもかえって楽になるという現象が起きます。変えよう治そうという意識がむしろその悩みを固定化していることに気づくのです。

 マインドフルネスでこのように人の気持ちや意識が変化することを「すること(doing)モード」から「あること(being)モード」へ、と表現されます。今の状態が自分の価値観からすると嫌なもの、不満なものなので変化させよう、治そう、より良くしよう、というのは何かをすることを目指しています。しかしこれはとらわれを生んでかえって今の状態への不満を強めて維持してしまいます。今ここで知覚していることを価値判断しないでただ知覚するという訓練を重ねると、何もしないであるがまま受け入れることができていきます。そうすると悩みや苦しみとともにいることができ、自分の一部であり共存できるものへと変化します。そうすると、悩みや苦しみは解消はしていないけれどそれまでのように自分の自我の健康を圧倒してくるようなパワーは持たなくなります。

 

 小指は何かを求めて積極的に動く指ではない。でも持ったものの重さを受け入れ感じ続けることができる。その指を活かすことで、重さをそのまま受け入れ、持つという行為を維持し続けることが楽になったのではないか。藤平先生の言う「支える」ということは、重さをなんとかしようとはしませんが、重さに屈することもしない。ただ支えてその状態にあり続けるのですね。重さをなんとかしようとすると指にも腕にも肩にも力が入って、ますます重く疲れるということになります。

 一方、人差し指は何かを求めて積極的に狙っていく指ですね。武道でなくても、例えばこのブログを書くためのパソコンではマウスをたいてい人差し指でクリックしています。ペンで字を書くときも人差し指がメインですよね。まあ、文字通り人を指す指ですから、外界に向かって狙いを定める役割です。つまり「すること(doing)モード」の指です。その指を使うと、効率的かもしれませんが力が必要で疲れてしまいます。

 

 マインドフルネスが「すること(doing)モード」から「あること(being)モード」に意識を変換するのに瞑想や呼吸法を使い、心理臨床にも役に立っているように、合気道セラピーも同様の意義があると考えています。打ってくる拳や手刀を逃げたり避けたりはねのけたりするのではなく、歓迎して迎え入れつつ、自分が傷つかないように体さばきします。そして攻撃と調和して穏やかに収束させていきます。このような合気道の技、動き、理念をクライエントさんと共有することで、悩みや苦しみに意識を向けず治そうとしない、つまりとらわれない姿勢ができていく。そしてどんなに悩んでいても、つらく苦しい経験をしても、自分の内部には人の持つ普遍的な力強さがある、と認識してもらう。これが合気道セラピーの理念でしょうか。まだまだ追加したいしまとまっていませんが…。

 

 合気道の強さとは、ほかの格闘技や武術と違い、「あること(being)」の強さなのかもしれません。よく、合気道が強いならなぜ総合格闘技のリングに立たないのか、と揶揄されることもありますが、ああいったリングというのは「すること(doing)モード」の極致ですね。勝とう、相手を倒そう、上に行こう、という。そこでは、「すること(doing)モード」のトレーニングを積んだほうが強いに決まっています。しかし、合気道の強さは小指の強さではないかと思います。人差し指とけんかしたら、そりゃ折られてしまいます。でも、重いバッグを持つときには、小指の支え続ける強さが光ります。心理療法で「あること(being)モード」が人を癒すように、そして合気道において小指から出る気の流れに導かれてほかの指、いや、腕や身体全体が導かれると、相当な強さを発揮するように、「あること(being)モード」が「すること(doing)モード」を導くこともあるのだと思います。