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自閉症スペクトラム障害と勝負事

 自閉症スペクトラム障害(以下ASD)の子どもとゲームをすると、ときにおおごとになることがあります。というのは、ASDの一部の子は自分が負けると、いわゆるキレてしまって大暴れすることがあるからです。

 もちろん、勝ったほうがいばったり自慢したりしなくてもです。

 勝っているときはごきげんでプレイしているのに、負けると急にカードやコントローラーを投げ出して、場合によっては壊してしまいます。大泣きしてじたんだ、転げまわったり、壁やドアをたたいたりけったりもあります。こうなると単にわがままとか自分勝手とも言えないでしょう。

 落ち着くと、彼ら/彼女ら自身も後悔していることが多いです。こういう経験が重なると後悔のせいで自己肯定感が低くなったり、後悔のつらさから逃れるためか自己正当化の理屈を考えだすことも多いです。結果として遊びやゲームや競技を避けたり、友人関係が結べない一因にもなります。

 

 本人はもちろん、保護者はじめ周囲の人もこの現象に困っています。もちろんカウンセラーも。私もこれまで何度も、楽しいUNOやトランプが一気に大騒ぎになって、子どもと周囲の安全のために抑えつけて苦しい思いをさせて、「ああ、カウンセラーにあるまじき行為をしてしまった!」と自己嫌悪することもありました。

 

 これはどうして起こるのでしょうか?ASD関連の書籍は大変たくさん出版されていますが、寡聞にしてこの問題についてはあまり触れられていないように思います。なので私なりに考えてみました。

 

 まずは、衝動性です。ASDは注意欠如・多動性障害(ADHD)を伴うことが多い、と教科書的にも言えます。でも、これでは答えになっていないというか、私が知りたいのは、なぜ負けに対して衝動的なのか?ですね。脳の神経系の問題という答えはあるのでしょうが、それだと支援法につながらない。

 

 「衝動性があるから」ではない、理由というかメカニズムというか理解の仕方を考えましょう。

 私が想定しているのは、ASDの特性から二つあります。

 

 一つ目。負けに対して感情を爆発させるタイプの子は、勉強に対して完璧を求める傾向もあります。勉強に完璧を求めるのはよいことではないか、と思われるかもしれませんが、彼ら/彼女らの求めているのは100点満点とか正解とかいうレベルではありません。よく観察される例は、漢字ドリルのお手本通りでないと納得しないというのがあります。漢字ドリルって、最初にうすいグレーで書いてあるのをなぞる練習欄がありますよね。そのうすいグレーをなぞるのに、ほんの少しでもはみ出すと、何回も消してやり直しています。そのため、何時間も一文字目から進めない。最終的にはお手本通り書けなくて、進まなくて感情が爆発したり、消しすぎて紙を破ってしまったりしてパニック大騒ぎ、というケースです。結果として「漢字ドリルやらない!」となります。最近は社会人になるとキーボードやフリック入力で字を書くからとか、やりたくないなら無理にやらなくてもいい、という大人もいますが、なぜその子が漢字練習をやりたくないのか、よーく検討してからその判断をしてほしいものです。(その結論自体は私もよく言います。でももしこの過剰な完璧主義からきているなら、漢字ドリルをただ免除するのはその場しのぎにしかなりません。その場しのぎも大事ですけどね。)

 この経験則から、私は負けるとパニックを起こす子は、【負け=間違い=悪、ダメ=自分のものとして認めれれない】、【勝ち=正解=正しい=自分は肯定できる】、と判断するこころの構造があるのではないかと思っています。つまり、「僕は負けたんでしょ。つまり悪いってことでしょ、ダメってことでしょ!そんなの耐えられない!」と感じているということです。

 したがって支援としては、負けは悪いものではないという価値観を知ってもらい受け入れてもらうという心理教育になります。また、完璧主義者はすべて自分がコントロールしてお手本や理想通りになるという思い込みも持っています。それもゆるめる必要があります。

 ゲームをやる際に、ゲームとは結果でなく過程を楽しむもの、負けはつきもの、運という人間が制御できない要素で決まること、などを教育します。そのあとにゲームのマナーについても教育します。この順番は大事ですね。いきなりマナーから教育すると、説教くさくなります。ゲームとは、という辞書的な話からしたほうがよいでしょう。具体的な方法まで書くと膨大なブログになるし、個人によって変えていますので、ご興味のある方はご相談、SVをお申込みください。(宣伝)

 

 さて、二つ目。それは感情の乱れの見通しがもてないということからではないかということです。ASDの人が見通しがもてない状況下ではパニックを起こしやすいというのはよく知られています。たいていの書物では、それを予定の変更やあいまいな状況といった例で説明しています。私は、負けでのパニックもこの特性の一環だと思っています。

 どういうことかというと、自分の感情がいつ収まるのか見通しがつかないので、とても怖くて不安で落ち着いてなんかいられない!ということなんではないかと思うのです。

 負けた→悔しい、これはまあ、当然の感情ですね。悔しいという感情はそんなに強くも大きくもないかもしれません。しかし、ASDの人にとって、こころの中にちらっと沸き起こった悔しいという感情が、どうなるのか、いつ収まるのか、わからないということです。「そんなの経験的にそのうち消えるとわかるだろ」、「幼少期だって泣いたあとけろっとしたでしょ」、というのは、“定型発達の人の常識”ですね。ASDの人は経験を一般化するのがとても苦手です。経験から学ぶのが苦手といってもよいでしょう。過去に悔しい感情が自然と収まったという経験が、今回もそうなるという発想がない。経験と今のつながりが弱いのです。(部分としてものすごく強烈に覚えていることもありますが。)

 不快な感情がいつ終わるのかわからない、これは怖いですね。ASDやADHDの人はこの瞬間にのみ生きているなんて言われることもありますが、この瞬間が不快でそれが永遠に続くかもしれないと思ったら、そりゃ怖い。そういえば地獄で罰を受けるのが怖い理由として、拷問の内容だけでなくその長さにもよりますよね。

 

 なので、この対策としては、感情についての心理教育ですね。感情というのは、今どんなに激しくさいなんできても絶対に収まること、こころはいろんな要素でできていて、悔しいとか怒りとか悲しいとかイライラはその一部でしかないこと、などです。深い海と波の例えや、スノードームなんかを用いて説明します。理系に興味ある子なんかには、こころではなく脳の機能として脳の絵を見せて説明したりもしますね。昔、『ジョジョの奇妙な冒険』の好きな中学生には、「偏桃体から嫌な記憶と感情が、オラオラオラオラオラオラ―ッ!と脳全体に広がるんだよね。でも前頭葉で無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄ァ!と押し返すこともできるかもね。」と説明したことがあります。(善悪反対になっているけど。)

 本当は、押し返すというよりは自然に収まるという説明のほうがいいでしょう。いずれにしても、相手の興味や反応に合わせて個別に作るのがカウンセリングでの心理教育です。

 

 書いた順番は違いますが、人間の感情についての心理教育を、ゲームについての心理教育より先のほうがよいでしょう。負けると暴れるという現象にいきなりフォーカスすると、ASDの子どもも警戒しますしそういう自分の問題点や弱点は扱いたくないと思っていることも多いですからね。

 カウンセラーは一方的に説教したり弱点を改善することを求めているのではない、とわかってもらうことから始めます。そのうえで、彼ら/彼女らが自分のこころを取り扱えるようこころの説明書の作成をしていくこと(内面の構造化)が、今の時点で私ができる支援法となります。