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「萌え」を生み出す「職人の国」

今回は久々に文化論です。

ある国に対して「○○の国」なんていうキャッチコピーがありますよね。アメリカなら「自由の国」、イギリスは「紳士の国」、タイは「ほほえみの国」、(マリネラなら「常春の国」『パタリロ』)とかですね。

どんなキャッチコピーでも、その国にそうではない部分も、ほかの国にもあるってことは当然ありますが、まあだいたいその国の持つ大きな要素、典型的な特徴としての表現です。

 

日本を象徴的に表す言葉として、みなさんは何を思い浮かべますか?主食であるお米がたくさんとれるという面を表すには「瑞穂の国」、人の精神的な美徳を表す面として「侍の国」(『銀魂』でも)、対立が少なくおもいやりの「和の国」などなど言えるかと思います。

 

さて、武道をやっている身として「侍の国」を支持したいところですが、私はもっと広く日本人のらしさが表れているものがあると思っています。侍という一部の階級でなく、庶民にも広く共通してある理想像というか精神の美しさです。

 

それは「職人の国」です。日本ほど職人を(心理的に)尊重している国はないように思います。ほかの国ではドイツのマイスターくらいでしょうか。日本は職人というものへのあこがれや尊敬、神秘さえ感じているようです。職人にある種の理想像を投影しているように思います。頑固一徹で不器用だけどよい仕事をすることだけに打ちこむ、なんていう職人像は、宗教上の聖人みたいなもんです。かっこいい!

 

歴史作家の司馬遼太郎も『職人』というエッセイを書いていて、日本は世界でもめずらしいほど職人を尊ぶ文化を保ち続けてきたと言っています。日本人が昔から職人に敬意を払い、身分の高い人も職人仕事をしていたことを示しています。

 

私自身この傾向が強く、自分の理想の姿として、考察だけの学者や評論家でなく現場で技と腕をふるい現実と向き合う心理療法の職人という形に憧れがあります。「臨床心理士」「公認心理師」「カウンセラー」というより「心理療法家」つまり心理療法の職人と言いたい気持ちが強い。やっぱり職人気質と言えるでしょう。合気道も心身の職人のようなものです。(もちろんあくまで理想なので、技がまだ未熟だったり解説や研究にあこがれたり、手抜きして楽しようという誘惑もあります。)

 

これは私だけじゃなくて、日本人にはこの傾向強いのではないでしょうか?

 

これはどうしてなのか考えてみたんですが、やはり、ある種のアニミズムではないかと思うのです。そして背景に「萌え」の感情があるのではないでしょうか。ここからはもう私のオリジナルな意見というか感想です。

 

どういうことかというと、日本人は職人が作った素晴らしい作品(商品であっても)には心が宿っていると感じる。アニミズムは一般的に自然物にも心があるということですが、日本人は人工物でもある程度複雑な一定の構造をもったものには心が宿ると思っているのではないか。その証拠に古い道具が妖怪になりますよね。あと人形の髪が伸びるとか幽霊の絵が動くとか。あとはやはり職人が丹精込めたものにも魂が宿るという連想がある。刀なんてまさしくそう。ただの刃物と思っていないですよね。名前つけたり拝んだりしてる。

まあ、芸術や宗教的なものに精神を感じるのは万国共通でしょうが、日本人は近現代になってからも本来商品だけの存在である車とかバイクとか楽器のような構造をもったものには投影が働いて心があるように感じています。また能や歌舞伎、武道の技の動きに、心的なものを感じる。すばらしい技が生じたその瞬間に精神の出現を見るわけです。

ロボットアニメが日本で繁栄したのもこの人工物へのアニミズムでしょうね。同様に擬人化アニメも極めて日本的です。刀や戦艦がイケメンや美少女になって知性も感情も持つ。ただの機械や道具じゃないんです。

日本人は人工物も生き物であり魂があると感じる傾向が強いと言ってよい。

 

そうすると、それを生み出した職人は、確かにすごい、尊い。職人によって作品が生み出されているのは、新たな生命、しかも精神をもった存在が生み出されていくように感じられる。われわれが職人の技に神秘性すら感じるのは、単に技の練度があり上手だからではないでしょう。作られた作品や高度な動きにも敬意を払うのはそれが魂のある生命だからです。

 

そして、「萌え」という感情は、何かが生まれることやその瞬間の感情表現でしょう。花も新芽も「萌える」と言います。何かが生起する、発生することへの驚きや喜び、感謝の気持ちが「萌え」です。漢字は違いますが、火が生起する「燃え」も、もともとは同じ意味だとしか思えません。美少女キャラクターへの「萌え~」も、非生物である絵をかわいい!と感じる強い気持ちによって、絵が精神をもったものになる現象や感情を表現したものでしょう。

つまり、職人の技や作品に感嘆するのも「萌え」です。心のある存在が生まれたことへの驚きと喜び、人間以外の生き物にとどまらず、非生物にも魂があると感じるアニミズムがあってこそ、職人の生み出す作品、技への尊敬が生まれる。生命の神秘、という感覚で、職人技の神秘、と感じているのだと思います。

 

 

 というわけで、私も心理療法職人として技をみがき腕をあげていきたい!と心に誓う令和21月でした。

 

あ、職人は、神秘的に尊敬されていると言いましたが、収入とは無関係ですね。尊敬されているからといってお金が舞いこむわけではない。職人が尊重される日本でもお金持ちは職人ではなく、口八丁手八丁の人です。

 

また、職人は長期的な展望や合理的思考が苦手な傾向があります。生み出す瞬間に集中してますからね。その弱点が今の日本の経済的技術的な衰えの一因にもなっているかと思います。ちょっと前は職人気質で世界経済でも活躍していたんですけどね。今は不利なのかも。

そんな職人の弊害が認識されてきたのか、職人への神秘性を感じない人も増えてきているように思います。司馬遼太郎も別の『日本史と日本人』というエッセイでは、職人的な練度を重苦しく感じると言い、自分も非日本人というか半西洋人だと言っていました。最近ではホリエモンこと堀江貴文氏がすし職人が何年も修行することを批判していましたね。堀江氏の仕事ぶりはたしかに古い伝統的な思考を壊していく感じがします。そんな合理的な彼からすれば、すしはただの食べ物ではなく何年も修行した職人の手から新たな魂が生み出されている、なんていう神秘性はおかしいと思うでしょう。大事なのは、すしの形していて味があって衛生上きれい、という食品でしかない。

 

私も職人気質にあこがれつつ、職人文化のもつ閉鎖性と不合理性を神秘でごまかす傾向(これってイコール日本人の欠点かな)はとても苦手なので、難しいところ。

ていねいにきちんと仕事をこなす、全力を尽くす、ものを大事にするという生き方の美徳、倫理、精神的価値としての職人気質は残すほうがよいと思いますがどうでしょう?

すごい理想をいうと、風通しがよくて合理的でありつつ、生命を立ち表すという神秘を実現できる職人技というのがいいですねえ。

 

ふたつよいことさてないものよ (河合隼雄)