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発達障害と謝罪

 発達障害の子どもの保護者や学校の先生の相談のなかに、「うちの子はごめんなさいができない。」というのがよくあります。

 自分が悪いとき、そして場を収めるために謝罪するというのは人生の重要なスキルだと思いますが、どうも自然に覚えてくれない、あるいは実行してくれないというケースが多々あります。

 

 これも自己中とか自分勝手と評価するのではなく「内面の構造化理論」で彼ら/彼女らの認知的、心理的な構造を考えてみましょう。

 

 まず、自閉症スペクトラム障害の場合、合理的な思考から離れられないというのがあるかと思います。先に相手が悪口を言ったとかこれまで嫌なことを繰り返ししてきた、など、自分が正当な場合に、どうしても自分の理屈で考えてしまって、「けんか両成敗」や「場を収めるための謝罪」という理屈にどうしても納得できないのでしょう。自分が正しいという理屈が独特で独善的な場合、さらに周囲との認識の差が広がってしまいます。

 

 次に、前回のブログ『自閉症スペクトラムと勝負事』でも書いたことですが、自閉症スペクトラムの人は「過剰な完璧主義」あるいは「全か無か」と考えがちです。つまり、負け=悪、などと考えてしまうように、謝罪=悪となってしまうので、どうしても自分の非を認めるわけにはいかないということがありそうです。謝罪しない子に親や教師、カウンセラーがていねいに説得し悪い点を指摘すると、それを認めた瞬間に、自分の頭を叩くなどの自傷行為を行ったり、解離状態(ぼーっとしたりうつろな目になったり)や抑うつ的になったりすることがよくあります。

 大人は悪い部分、行為のみ指摘し謝るよう言っているだけなのですが、彼ら/彼女らは、一部=全体なので、謝らなければいけない=自分は悪い子、悪の化身、みたいに感じてしまうようなのです。

 

 もう一つは、感情の変化が発達障害の人にとっては、とても疲れるということがあるかと思います。謝罪するとき、多かれ少なかれ人のこころには罪悪感という感情が現れます。感情が乱れるというのは、定型発達の人にとってもエネルギーを使います。また、もとの落ち着いた感情状態に戻すのもエネルギーを使います。発達障害の人の一部には、これが想像以上にとても難しくしんどい人がいるようなのです。

『自閉症スペクトラムと勝負事』でも書きましたが、自分の感情がいつ収まるのか見通しがつかないというのもありますね。

 罪悪感を抱くのもめんどくさい、それを通常の状態にもどすのもめんどくさい。めんどくさがり屋なのではなく、彼ら/彼女らにとってはとても難しいことなので、我々よりめんどうくさくなるのです。だから、謝罪したくない。「謝るのめんどくさいです。」などと発言してしまうこともあり、それは誤解を招きます。

 形だけ謝罪して、罪悪感という感情をこころの内に引き起こさないというのは高等テクニックなのです。この機能ばかり発展させるのは、それはそれで問題ですが、生きるスキルとしてはありですよね。でもなかなかそれもできないようです。

 

 また、前述した、「場を収めるための謝罪」というのも苦手です。発達障害の人にとってもっとも苦手な場の空気を読むことになります。相手が悪いとお互い納得していない。でも次に進むために、一時棚上げするために、場を収めるために、お互い謝罪しよう、という理屈は納得いかない。

 彼ら/彼女らにとって、「謝るというのは、悪いことしたからだ(全か無か)。謝るということは申し訳ないという悲しさと自己卑下を伴う罪悪感が沸き起こるのだ。」という観点から逃れられないので、場のため形だけでも謝るということができないのです。

 

 また、小さいころから叱られて謝るシチュエーションが多く、自尊感情が傷ついてきた場合もなかなか謝罪できないようです。謝ることが恥や虐待につながります。つまりそれは生存の危機ですからね。簡単に自分の悪い点を認められない。もっとも叱られまくり謝りまくってきた結果、謝っても大したことにはならないということを学び簡単に謝罪できるタイプもあるのですが、これはこころの傷への対処法の違いということでしょうね。

 

 さて、それでは対応編です。

 まず、謝罪とは謝った人の負けでもなく全人格を否定するものではないと強調することです。望ましくない行為についてのみ謝罪する必要があるけど、あなた自身を否定していないよ、と伝えましょう。これは幼少期から大切なことです。悪い子としないのはもちろんですが、特に大事なのは恥と結びつけないことです。日本人の文化的な基礎に恥があると言われていますが、謝ることができたらその子とその行為を恥と結びつけず、謝れたことをほめましょう。

 

 そのために保護者や教師、カウンセラーがそのお手本を見せなくてはなりませんね。大人から子どもにも謝ることを示して、謝ること=悪、恥ではないと示しましょう。

 

 次に、独特の理屈で謝罪を拒否する世界観を持っている場合です。その場合、やはり世間の常識を教えなくてはなりません。私は「悪の度数」と名付けた方法を使っています。例えば、悪口を言われてキレて相手にかみついてしまったというケースを考えましょう。この場合、相手が先に悪口を言ったということで自分の暴力を正当化して謝れないということがありえますね。抽象的に暴力はいけないと伝えても心底まで入っていかないので、私は、彼ら/彼女らが得意な数値に置き換え具体化します。例えば「先に悪口を言うのは確かに悪いね。きみが何もしていないのに先に悪口言うのは悪の度数でいうと50かな。でも暴力はもっと悪の度数が高いんだよ。きみは先に悪口言っていないから、悪くなかったけど、暴力振るった瞬間、悪の度数が一気に70になってしまうんだよ。それは謝らないとね。」また「暴力は悪の度数が高いから、ふるうと損しちゃうよ。」などと対応します。もし好奇心が旺盛な子なら、なぜ暴力は悪の度数が高いのか、人類の歴史から説明します。

 

 ただし、この方法も先の、謝罪は人格否定ではない、恥ではない、という認識を理解してもらってからです。そのために発達障害の子の存在価値を認め温かい関係があってこそ成立する方法だということはとても重要です。