マインドフルネスでは、つらい感情や体験に対して、それをコントロールしたり拒否したり抑圧するのではなく、「アクセプランス」つまり「受容」することを勧められます。そんなの無理だ!とか、きれいごとだ!と思われるかもしれません。あるいは、あきらめろってこと?とも思うかもしれません。
しかし、いやな感情・体験をコントロールしようとしたり無視したりすると、かえって困難は続いてしまいます。また、「受容」というのは、あるがまま認めるということであり、自分が感じていること、自分のこころの内部で起こっていることに、積極的に気づいていこうとすることです。苦痛を感じつつも自分らしく生き幸福を追うこともできるし、受け入れないものと戦うことも選択できるようになるはずです。
(確かにその実行は簡単なものではなく、マインドフルネスは練習が必要だと言われます。)
それは、つらい感情や体験を「歓迎」(ウエルカム)することと言われます。自分の感情・体験に対し、愛情をもって受け入れるからです。ネガティブなものであろうとポジティブなものであろうと、すべての感情・体験に「ようこそ、いらっしゃい!」という態度をとります。繰り返しますが、いやな感情を否定し受け入れないと、そのつらさは続いてしまいます。つらいと気づき、受け入れ、つらいままにしておくと、いつの間にかそれはつらいものでなくなっているという不思議な現象が起こります。ただし、つらくなくなるという、その結論だけ求めると失敗します。だから、やはり、すべての感情を歓迎することを目指すのです。
さて、このつらい感情・体験に対し「いらっしゃい。」という態度は、合気道の技に多く見られます。というか、合気道の技の本質ではないかと思います。わかりやすい例で、短刀を使った技を考えてみましょう。
相手が短刀を胸、腹に突いてくるとき、普通の対処は、後ろにさける(逃げる)、はたいたりたたいて短刀を落とす(反撃)、相手の手首やこぶし、腕をつかむ(固着、維持)の3つくらいでしょうか。
しかし、合気道では、迫りくる短刀に対し、「いらっしゃい!」とこころよく迎える態度をとります。上記3つの逆で、むしろ前に出て、胸元・腹に、短刀を「ウエルカム!」と迎え受け入れようとします。最初は怖れや緊張で身体は固くなります。しかし稽古を通じ、やわらかい身体とこころで、短刀を受け入れていくのです。もちろんそのままでは刺さってしまいます。受け入れつつ身体をひねったり相手の手首をつかんだりして、相手を投げ短刀を取り上げます。しかし、最初からその技を行おうとすると、がちがちに固くなって動きは鈍くなり、相手に動きが丸わかりとなり、自分が傷ついたり、つかみ合いになってみにくい争いとなり結局腕力勝負となります。「短刀をなんとかしなくちゃ!」という気持ちによって、逆になんともできなくなるのです。
そのため、たとえ短刀であろうと、攻撃であろうと、痛いものであろうと、「いらっしゃい」という気持ちで受け入れる動きをし、でも一方的に傷つけられることはしない、というのが合気道の技なのです。マインドフルネスのアクセプランスにとてもよく似ています。
合気道セラピーでも、慣れてきた方には木の短刀を使っています。短刀を向けられても固くならないで受け入れる、つらい感情や体験であっても歓迎し受け入れ、かつ一方的にやられるのではなく的確に対応するということを、実体験してもらっています。
こころの悩みや問題というのは、自分の内部からの攻撃と言えるでしょう。その内部からの攻撃を、「いやだいやだ」と避けたり、気づかないふりをして無視したりするのではなく、ありのまま認めて受け入れて、的確に必要な対処をしましょう。それには攻撃を受け入れ的確に対処する合気道がとても参考になるのです。