新型コロナ禍のなか、「あまびえ」という妖怪がブームになっていますね。江戸時代の肥後のかわら版が元ネタのようですが、なんだかサインペンで子どもが描いたようなイラスト(失礼?)で、「ああ、日本人って数百年変わらないんだなあ。」と、ほのぼの思いました。新型コロナで落ち込みがちな気持ちを、少し元気づけてもらったようにも思います。
さて、この「変わらない」と感じたのは、日本における妖怪と人との近しいかかわり方と、ディフォルメされたかわいい表現になっちゃうという点ですね。
あいまいな存在に想いを投影し、怖れたり憧れたり、尊重したり嫌ったりする。ときに、いっしょに遊んだり、だまされたり、からかわれたりする。日本人は投影によって妖怪に生命を与え、生きている存在として近しく感じています。人のこころ、想いの数だけ、妖怪の種類もあるのです。愛や親しさ、安心や健康への願い、恐れ、商売繁盛、不安や心配…すべてが妖怪化する可能性があります。(特に自然に対する気持ちが妖怪化しやすいかも。)近年のマンガ、アニメやヴァーチャルのキャラクターにも、こころの向け方は同じですね。二次元嫁を愛するのは、あまびえに疫病の収束を願う心性と同じでしょう。
マンガ、アニメ…、そう、水木しげる、宮崎駿をはじめ、多くの表現者が、妖怪を描いて(書いて)きました。いやいや昭和からじゃなくて、浮世絵、百鬼夜行絵巻、鳥獣戯画の昔から。ときにかわいらしく、時に怖ろしく。いや、存在としては怖くても、絵的にはかわいいのが多いですね。ほとんどの妖怪は絵的にはかわいい。これも日本の特徴。各地の「ゆるキャラ」も妖怪の亜種のようです。
このように、妖怪は表現としても、自由に無限に形をとらせることができます。ぬりかべを宮崎駿が描いたら、どうなるか?、ねこバスを水木しげるが描いたら、どうなるか?空想するとおもしろいですが、きっと私なんかの空想を超えるイメージを表現者は持っているのでしょう。あまびえもいろんな人が描いていろんなあまびえを公開していますね。
私も子どものころから妖怪が大好きで、『怪談』『遠野物語』『ゲゲゲの鬼太郎』『どろろ』『となりのトトロ』『うしおととら』等々、妖怪、もののけ、妖、付喪神、等々が出てくる作品にわくわくしてきました。自分の身近に、この国のあちこちに、はっきりとしない存在がちらばって生きているというのがとても心地よいのです。小泉八雲も、アイルランドの妖精たちが一神教によって消えてしまったことをなげいていたら、極東の島国にそれらが豊かに残っていたことに感動したようです。柳田国男も、山深い所の伝説、物語を語って「平地人を戦慄せしめよ」と述べています。統一的な宗教や思想、政府に管理されない自由と、まとめられない多様性が妖怪にはあるように感じます。表現においてもこの多様性はあって、姿かたちや設定をいくらでも描けます。
ところで、妖怪は心理療法においても、とても役に立ってくれる存在なのです。キーは上記した二つの特徴、①こころを投影でき生命のある存在になるということ。②自由にかわいらしく表現できる、ということです。
まず①について。こころの悩みは、症状、行動として表出される場合、正体不明で扱いにくく、ただ困る、悩む、苦しむものです。自分のものでありながら自分を困らせ苦しめる、それがこころの悩みであり症状です。問題行動というのも、自分の行動でありながら、理性ではコントロールできない。冷静な時の自分では思いもつかない行動をとってしまうのです。
そこでセラピーでは、その症状や行動をキャラクター化してもらいます。つまり妖怪化するのです。この手法はやはり子どものセラピーにおいて利用することが多い。けんかっ早くキレやすい子には、こころの中にいる「イライラ虫」、不安で行動が制限されるな子には「ざわざわ君」など。ていねいに話を聴いて、その子にあったキャラクターを考えて名前を付けます。症状や気持ち、身体の状態を聴いてから、名づけをする。
この方法の最大の利点は、扱いやすくなるだけでなく、自尊感情を保てるということです。例えば、キレで暴力をふるう子に、その行動をやめるよう言うと「お前は悪い子だ。」というメッセージになりかねません。私は小学生から中学生を見てきたことが多いのですが、最初は自分の問題行動を悪いことだと認めていた子が、それでも直せないでいると、だんだん悪のアイデンティティのようなものを持っていく様を見たことがあります。親や教師、カウンセラーに問題行動を指摘されると、「自分自身が悪い子なんだ。」と感じ、抑うつ的になる場合もあるし、開き直って「僕は悪でいいや。」となることもあるのです。
それを防ぐためには、「きみ自身は良い子。でもこころの中に、イライラ虫がいるんだよね。」ともっていきます。良い子の根拠もたくさん示します。もし、セラピーの最初でその子のことをあまり知らず、よいところが見つからなければ、今私といるとき穏やかであるとか楽しくお話できているという、今ここでの良い子である事実を伝えます。「良い子であるきみが、暴力をしてしまうのは、きみ全体が悪い子なんじゃなくて、イライラ虫のせいなんだよね。」「今こんなに穏やかで楽しいきみがときどき暴れちゃうのは、イライラ虫のせいなんだねえ。」などと伝えていきます。
次に②がとても役に立ちます。「イライラ虫」を、絵で表現してもらうのです。絵にすることでなおさら認識し扱いやすくなるし、それを抑えるキャラクターも考えてもらったり、おとなしくした状態も描いてもらいます。そのキャラクターを使ったお話を考えてもらうのもよいかもしれません。そのイラストがとてもおどろおどろしいものであるケースもあるのですが、たいていは妖怪の絵のように、かわいらしさがあることがほとんどです。真っ黒や真っ赤でとげとげした姿で怒っていても、クレヨンや色鉛筆で書かれた姿は多少なりともかわいいものです。かわいいというのも扱いやすくすることにつながります。(虐待やひどいトラウマのケースは、かわいらしいとは言えない絵もあります。ケースバイケースで行います。)
以前、「自分でもどうしてイライラするのかわからない。なんでこんなにイライラするの!?」と訴えた小学生に、「イライラ虫」を描いてもらったところ、その子が、自分で描いた絵が本当に動き出しそう、と言ったケースがありました。自分のこころの問題点を名付けて絵にすると、それは生き物となります。妖怪化するのです。セラピーではこころの問題を知的、理性的に扱うだけではなかなか動きません。悩みや問題に生々しく活動してもらうには、妖怪化するのがとても役に立ってくれます。(なお、その子に「イライラ虫」を鎮める存在をイラスト化するよう言ったところ、巫女さんの絵を描きました。)かかわる大人たちも、絵になると生々しくその子の状態をとらえることができ、共感的理解につながると同時に、かわいい絵を通じることで、その子への愛情にもつながります。生々しいけどかわいいという妖怪の特徴は、ほんとうにありがたいのです。
さて、このセラピー手法をご紹介すると、思いつく妖怪のエンターテイメントがあるのではないでしょうか。「妖怪のせいなのね。」…そう、ゲーム、アニメ等で展開された「妖怪ウオッチ」です。大ブームだったのは5,6年前でしょうか。『妖怪ウオッチ』は、当時のセラピー・カウンセリングにとても役に立ってくれました。「きみは悪い子じゃない。暴れちゃうときは、妖怪ウオッチみたいに、とりつかれているんだね。」と言えたのがとても便利。自分のせいじゃなくてとりついた妖怪のせい、というのは、自尊感情を損なうことなく問題を扱える助けになりました。
「きみのせいじゃない。」と伝えると、人のせいにしたり問題や症状に取り組まなくなる子もいると考える方もいるかもしれませんが、これまでそういうケースはないです。むしろ責められて自尊感情が低下している子のほうが、他人のせいにしたり開き直って取り組まなかったりします。
なお、念のため私は「きみのせいじゃないけど、イライラ虫はきみのこころにいるんだから、なんとかできるのもきみだけだよ。」と、責任放棄しないように言うこともあります。
日本における妖怪の存在はとてもとても魅力的です。セラピーにも役立ってくれます。これからも、あいまいで怖ろしくかわいい妖怪たちと、なんとなく近くで関係しながら生きていきたいものです。深入りし近づきすぎると危ない面もありますから。
なお、昨年は幽霊について書いています。妖怪と幽霊は似ていますが、幽霊がこころだけの存在であると言う点で異なってるようです。ブログ「幽霊論ー幽霊は心身一如と矛盾する?ー」もご覧ください。(来年は怨霊について書こうかなあ。妖怪は自然に対する気持ちを具現化したものが多いのですが、怨霊は人間の恨みつらみに特化して具現化した、より心理的な存在ですね。)