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直観力の身につけ方

 世の中には直感的に物事をつかむのが得意な人がいます。心理臨床家にも、なぜか話を聞いてすぐ問題の本質をつかんでいたり、まだ話していない事実を言い当てたりすることがあります。武道家にもいるでしょう。これは伝説的な話になりますが、一流の武道家や武術家には、背後から襲われてもわかるとか、夢のお告げで襲われることを知っていたりといったエピソードがあります。

 

 このような少々まゆつばもので、ちょっと神秘的な直観力ですが、とりあえずそういった力があるとして、どうやったら身につくのでしょうか?

 

 直観力は合理的なものではないため、身につけ方もマニュアル的で確実にできる方法や近道はありませんので、少々抽象的になってしまいます。それでも、二つの方法を考えてみました。

 

 それには、ユングの考えが参考になります。

 ユングは、人間のこころの機能を4つに分類しました。思考・感情・感覚・直感、です。思考は、その通り知的に、合理的に考える機能ですね。感情は価値を与える機能です。何かを見て、好きと嫌い、快と不快など、主観的に判断するための機能です。感覚は、生理的刺激を心理的に感じる機能です。外界を正確に認識したり、自分の内的な感覚を独特につかんで芸術を作り上げる機能でもあります。直感は事物の背後にある可能性を知覚する機能です。無意識的に理解するので、急に結論を出してもどうしてわかったか本人にもわからなかったりします。

 ここで興味深いのは、ユングは思考と感情を合理的機能感覚と直感を非合理的機能としています。思考はわかりますが、感情も合理的なのです。

 どうしてかというと、感情も、なんらかの価値判断をするという点で合理的なのです。思考では、「正しいか間違い」、感情では「好きか嫌い」、のように、その人にとってのなんらかの価値を判断するのに役立つ力だからです。

 そして、感覚と直感は非合理的機能と言われます。感覚は良いも悪いもなく、自分の生理的刺激をそのまま受け取る機能です。暑いのは嫌だといっても、暑いものは暑いですよね。正確に正直に、刺激をこころに伝えてきます。直感も、過程や方法はよくわからないのけど結論が出てしまったという点で、合理的ではなく、そのまま受け入れるしかないのものなのです。

 

 日常生活を送るには、合理的機能を働かせた方がスムーズに便利にいきますよね。それゆえ、人は合理的機能をよく使い働かせているので、非合理的機能は上手に扱えなかったり弱まっていたりします。

 

 ここで、このユング4類型を参考に、また武道を参考に、さらに私の個人的体験から、直観力を鍛えるには、三つのルートが思いつきます。

 

 一つは、合理的機能を弱めるトレーニングです。つまり、自分にとっての価値判断をしないようにする訓練です。心理療法家が直観力が高まるのは、この訓練や経験をしているからではないかと思うのです。

 心理療法家が、個人としての信念や宗教、道徳観、常識、美意識を持っていても、様々なクライエントさんと出会って話を聞いていくには、自分の価値判断をとりあえずでもカッコに入れる必要があります。

 また、様々なクライエントさんと出会っていくと、自分の信念や常識が通用しない人や事態に出くわします。その驚きを繰り返し、判断を保留するうち、自分の信念や常識はゆらいで、簡単に価値判断できなくなります。それでもゆったりと落ち着く経験や訓練を通じ、自分にとっての非常識にこころをさほどゆるがされなくなると、合理的機能が弱まります。そうすると、それまでうまく使えなかった感覚や直感が作用し出し、強化されるのです。

 つらい経験、しかも人生が変わってしまうほどの過酷な体験をした人に直観力が高まることも、このことから説明できます。自分のそれまでの常識が変わるほどの衝撃を体験すると、合理的機能が弱まります。激しく傷つけられたり逆に傷つけてしまう体験です。「僕は取り返しのつかないことをしてしまった!僕はララアを(略)」みたいな体験ですね。そういった体験をすると、自分が正しい、世界とはこうだ、という自分の価値判断が信じられなくなりますので、直観力が高まることなのでしょう。

 

 もう一つのルートは、感覚をトレーニングすることです。これは武道家が直観力を身につけるルートではないかと考えています。非合理的機能である感覚に意識を向けるトレーニングで、思考と感情を抑え、非合理的機能に敏感になっていきます。

 一つ目のルートは、合理的機能を弱めるという方向、こちらは、直観と同じ非合理的機能である感覚を強めるということですね。武道では自他の身体の動きや力の方向、気の流れ、剣などの武器を握ったり振ったりするときの感覚などに意識を研ぎ澄まします。滝行や瞑想もそうでしょう。そうすると感覚が鋭敏になると同時思考や感情は弱まっていき、非合理的機能である直観力が高まっていきます。

 心理療法でも、インドフルネス瞑想では身体の感覚に意識を向けることで思考や感情に振り回されなくなっていきます。動作法やフォーカシング、自律訓練法など、身体を使う心理療法でもおそらく同じ意味があるでしょう。こころの問題や悩みと言うとき、その「こころ」とはたいてい思考と感情です。そこを弱め感覚に気づいていく心理療法は、武道家の稽古、修行と似たような効果となっていると思います。

 

 一つ目、二つ目とも、感情と思考を弱める点では同じことです。思考と感情は、上記したように、判断や分別、好き嫌い、正誤にかかわる機能です。

 

 合気道においても

 

  「人は無我の境に入れば、相手の動きを正しく察知することができるようになる。

   この直観力は武道において特に必要とされる。

   (中略)

   何の分別をはさむ余地もなく、機に応じてすらすらと出て来る動きをいうのである。」

 

 と言われていますが、ここでいう「無我」「何の分別をはさむ余地もなく」というのは、ユングが言う合理的機能を弱めることを指していますね。「無我」とは自分の価値判断を捨てること、「分別」とはまさに合理的機能ですからね。

 

 さて、三つ目の重要なルートとして、直観はそれまで蓄積してきた知識や情報や身体感覚、運動が、意識しないほど素早く出たという面があるように思います。勉強と稽古、訓練で学んだことが、思考を通じずに出現することを直感と呼んでいる可能性もありますね。つまり、日々の勉強や稽古、訓練をしないで直感を身につけることはできません。

 

 大事なことですが、上記三つのルートを経ずに直観をいきなり高めようとすることはやめたほうが良いと思います。先ほどから言っているように、直観は合理的なものではないので、直観を正しく理解し把握している人はいないため、いきなりそれを高めるという訓練法は存在しません。問題のあるカルト宗教やオカルト思想はここで間違えてしまうことも多いのではないかと思います。

 

 自分の信念や道徳、常識、美意識を疑い、価値判断をしない、つまり先入観を捨て客観性を求めていく訓練、特別な超能力ではなく、普通の感覚に意識を向ける訓練、こつこつと勉強し知識を頭の中に蓄えていく訓練、こういった地道な訓練と勉強なくして、直観力は高まることはないと思います。

 

 それゆえ、感情的な好き嫌いが多い人、善悪を決めたがる人、自分を正しいと思い込む人、信念が堅い人、常識を疑わない人、常識の逆張りをしたがる人、などは、直観力がない傾向がありますね。価値判断しまくりですから。

 

 あともう一つ。直観力というのは、合理的なものではないので、便利に使うこともできません。直観力を使おうとか、働かせようとかしても、自分の意志ではできないのです。それは「自然に」起こるものなのです。起こりやすいよう上記した努力をしたり、環境を整えたりはできますが、それでも本当に直観力が働くかは運次第です。

 ですので、直観力があるという人に、「じゃあ、私の〇〇をあててみてよ(占ってよ)。」みたいに言うと、言われた方は「よし、あててやろう。」となります。そうすると、意図的・意識的となって合理的になるので、直観の力は弱まります。

 また、直観力をアピールする人物も疑った方がよいです。なぜなら、意図的になると使えなくなる直観力を、自分の意志で意図的に使えると言っているんですから。それはまず嘘か自己愛です。

 「自分には直観力がさえるときがあるけど、それはいつ出てくるのかわからないなあ。」というのが、直観に優れる人の誠実な姿勢だと思っています。

 

 というわけで、「直観力の身につけ方」と言いつつ、それは実はお手軽にはできないという結論でした。

 

 

文献

河合隼雄  『ユング心理学入門』  培風館

大住誠  『新瞑想箱庭療法』 誠信書房

植芝盛平監修 植芝吉祥丸著  『合氣道』  光和堂