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暴力をふるっちゃう子に私が言っていること

 子どもが暴力をふるう要因は様々です。対応についても様々です。今回は自閉症スペクトラム障害(以下ASD)に有効と思われる私の考えた「内面の構造化理論」ではどう対応しているか(その一部)について書きたいと思います。

 したがって、この方法が全く有効でない暴力もありますが、タイトルを「暴力をふるっちゃう自閉症スペクトラム障害の子に」、としなかったのは、タイトルのみでASDの子は暴力をふるう子が多いんだ、と誤解されないためです。決してASDの子が暴力をふるいやすいのではありません。今回ブログのテーマとして選んだのは、「内面の構造化理論」で扱いやすいという理由です。

 

 さて、本題です。ASDの子どもと暴力について話すとき、まず「なぜ暴力はいけないか」、からお話します。もちろん、子どもだって小学生低学年であっても、暴力はいけないこととわかっています。しかし、あえてそこから話します。それも、かなり理屈よりで話します。

 多くの場合、人類の歴史として、おそらく最初の暴力は腕力、歯、爪、そして動物の骨やこん棒からはじまったと説明し、「次第に人類は腕力が強い者だけが勝ち権利を得るという社会ではなくしていった」と言います。そこでは「話し合いやルールを守るというしくみができ、それを守らないといけないというモラルができてきた」と説明します。「もし、暴力が最優先の社会であったら、きみは先生の言うことを無理やりきかされるし、先生ももっと強い人の言うことをきかされるよね。」と伝えていきます。現代では体罰が禁止されていることもその流れで伝えます。「昔は教師が頭たたいたりしてたんだよ、でも今はそれだめだよね。」と、彼ら/彼女らにとって、身近な暴力がなくなった現状を伝えます。

 

 言語化が苦手な子もいて、自分の思いを伝えられないストレスや誤解を受けることが多かったり、話し合いでは損ばかりしている場合もあります。そういう子には、「話し合いが苦手で腕力が強い人にとっては生きにくいと感じるかもしれないけど、社会がそのようになっている以上、そのルールにはしたがわないといけないよね。」とも伝え、「苦手なら先生が手伝うよ。」言います。したがわないといけない、だけで終わらせると、ストレスがたまるだけですね。だから必ず、「支援者がいるし君は大丈夫」と伝えます。

 

 そして、その後に、具体的に暴力をふるわないようにするにはどうしたらよいかという対策に入っていきます。

 

 人類は暴力の価値を低くするよう積み上げてきたことや、腕力が優先されるならもっと強い人に支配されることや、ルールにしたがう必要があることは、すでに子どもたちも知っているしさんざん大人たちから言われてきたことかもしれません。しかし、ASDの子どもたちは、それがはっきりと説明的に伝えられていないと、あいまいでもやもやした状態で心に残っている場合があるのです。そうすると、自分の中の規範として作用しにくくなるようなのです。言ってみれば、あいまいにしか書いていないルールブックしか持っていない状態なのではないでしょうか。

 

 そこで、あえて“常識”を明言します。正面からこういった話をすると、ASDの子たちは、かなり真剣に聞いてくれます。そして、それ以後こちらを信頼してくれるケースが多いです。これも推測になりますが、これまで言われてきてなんとなく心にあったもやもやした“常識”や“ルール”が、明確に組み立てられていく感じがするのではないでしょうか。

 

 この方法のコツは、セラピスト側は暴力はいけないという価値観をしっかりと持ちつつ、感情的にはならないということです。暴力をふるった子に怒るもの禁止ですし、被害者がかわいそうというのも感情的には表出しません。ASDの子にとって、感情的な相手は対処しにくいので、言われたことでますます自分の中にあるルールがあいまいになり自分の心が扱いにくくなります。

 

 反論される場合もあります。そのときも、決して感情的にならず、理屈で返し続けます。そのための理論武装はしておく必要があるでしょう。また、反論が正しいと思えたら、それはためらわず同意します。むしろ筋の通った反論ができるほど賢い子は、将来有望と感じて、私などうれしくなってしまいます。それでも、学校や家庭や社会で暴力をふるうことは認められていない現実は伝えていきます。逆説的ですが、自分の意見を認めてくれた大人に子どもは好意や感謝、尊敬を持ちますので、むしろ、暴力はいけないというこちらの意見も認めてくれる傾向があります。

 

 暴力や衝動性についてどう対処するか、カウンセリングや指導をするのか、という研究や本はたくさん出ています。「ソーシャル・スキル・トレーニング(SST)」というものです。しかし、SSTの前提として、今回示した「内面の構造化」をしておく必要があると思うのです。もし、SSTを熱心にやっているのに、効果が出ないというとき、ASDの子どもたちの内面があいまいなままになっていないか、を検討してみるのはいかがでしょうか。

 

(おまけ)

 「人類は暴力を重視しない社会を進化させてきた、その証拠に警察や裁判ができ、体罰も禁止され、話し合いやルールを守るという規範や道徳もできてきた。」と説明したとき、私の中で、「じゃあ戦争はどうなんだ。」と心の中にいる子どもが叫びます。その叫びに答えが見つかりません。子どもたちの暴力に正々堂々とそれはよくないと言えるように、大人が戦争など起こしてはいかんのです。