保護者からの相談で、よく「うちの子本当にめんどうくさがりで。」という訴えや悩み相談を受けます。確かに日々やるべきことが複数あるなかで、めんどうくさがってぱっぱと動かない子を見ていると心配やいら立ちもあるかと思います。
大人の方でも、自分自身や部下や家族のめんどうくさがり屋なのに悩むこともあるでしょう。
しかし、このめんどうくさいという感情は、発達障害の支援にとって、実は重要なのではないかと考えています。
まず、めんどうくさがり屋さんなのは、けっして悪いことではないと思います。
なぜなら、めんどうくさいと感じることで工夫するようになるからです。たとえば、頭で覚えておくことがめんどうくさくて嫌ならば、メモをとるという工夫を思いついたりしますね
私も、夏冬にエアコンを切り忘れて出かけてしまうことがあったとき、玄関にエアコン書いた紙を張り付けておきました。これも出かけるときはエアコン切るという概念を、いちいち頭の片隅に置いておくのがめんどうくさいので、メモにして外出時に目につく玄関に張り付ける工夫をしたのです。
めんどうくさいという感情は、発明発見の元にもなるでしょう。水を川までくみに行くのがめんどうくさいから井戸ができたし、井戸の底まで下りて行くのがめんどうくさいからつるべができました。遠くまで話に行くのがめんどうくさいから電話ができました。スマホやタブレットの使い勝手がだんだんよくなるのも、それまでの操作ややり方がめんどうくさいから改良していくわけですね。
発明発見はなにもエジソンのような有名発明家や企業の商品改良だけのことでなく、頭で記憶するのが大変だからメモをとるようにするという工夫も、発明発見のひとつです。
言い方を変えると、工夫や発明発見というのはなるべく楽をしたいという、“怠け心”から始まるのでしょう。
さて、めんどうくさいという感情があるからこそ工夫や発明発見があるという考えは、発達障害の支援、あるいは当事者の自己コントロールにも必要な発想ではないかと思うのです。
発達障害の支援や指導、自己コントロールには、単なる努力、根性論ではなく、特性に合った工夫を行うというのが基本です。「がんばれ」とか「集中しなさい」ではなく、「どうやったら楽にできる?」「どうやったら集中できる?」という発想でいかなくてはなりません。
前述のような、聴覚情報を記憶しておくのが苦手な場合、がんばって記憶しておこうとか注意力を上げよう、という努力より、メモをとるという発想の転換が必要なのです。(もちろん、メモが苦手な方は別の方法が大事です。)
それを探していくのが、発達障害の支援でありカウンセリングです。また、当事者が自分で自分の傾向や特性を理解し、自分に合った方法を探し出せれば、自律となります。
教師や保護者がよく言う「気をつけなさい」「注意しなさい」「がんばりなさい」は、いわば努力や意識の量を増やすことです。しかし、本当に有効な支援や自己変革は、質を変えることです。
そして、これは発達障害に限らないでしょう。個々人の弱点や、ついついしてしまうミスに、量を増やして克服しようとするよりも、やり方を変えるという質を変えるほうに発想を変えてみましょう。
考えてみると、認知療法や精神分析のような心理療法も、認知や意識の質を変えることですね。
また、合気道をはじめとする武術も、動きや身体運用の質を変える稽古です。筋トレは量を増やすトレーニングですね。特に理解できない動きはしません。しかし、武術は、日常やスポーツで実践してきた動きではなく、なじみのない動きを自然にできるようにトレーニングしていきます。量ではなく質を変えてしまうのですね。