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部活動トラウマ

 トラウマ、つまり過去の過酷な体験が心の傷のようになり現在の苦しみとなっている現象は、心理療法の対象としてはとても多いものです。これまでも様々なトラウマが取り上げられてきました。それでもまだまだ、あまり注目されていないものも多いと思います。

 見落とされてきたあるいは独立したトラウマとしてとらえられていないものに注目することは、臨床的、さらには社会的に意味があると考えています。やたらに増やすものよくはないのでしょうが…。

 

 今回は「部活動トラウマ」ともいうべきものを取り上げます。

 

 私個人は部活動で不快な経験もありましたが、現在までのトラウマになるような理不尽な被害はなく、青春の1ページになっています。しかし、カウンセリングやセラピーで子どもや、あるいは成人になってからも部活動での心の傷が原因で対人不安や自信喪失、心身の不調を招いている例をいくつか経験しました。

 

 例えば部活動でレギュラーに選ばれなかったつらさは「劣等感コンプレックス」として扱えるし、いじめや体罰があってそれがトラウマとなっているのであれば、いじめトラウマ、体罰(虐待)のトラウマとしてとらえればよく、あえて「部活動トラウマ」と呼ばなくてもよいかもしれません。

 しかし、私の臨床の経験上、部活動でのトラウマが成人になっても対人関係や心身の不調をまねいていることが多いことと、本人がそれを認識していないことがあるので、部活動特有の特徴を考えることは。やはり意味があると思うのです。

 

 部活動で経験するトラウマとして、上記したように、部活内でのいじめがあります。また顧問や外部コーチによる体罰、しごき、言葉の暴力などの、教育虐待、いわば「部活動虐待」があります。いじめや体罰はクラスでも起こる話ではありますが、部活動ではクラス以上に発見や発覚が遅く、対象の生徒が我慢する傾向が強くなる気がします。

 部活はクラス以上に凝集性が高い傾向があります。同じ競技や活動に興味を持ち、大会優勝等の共通の目的を持ち、生徒同士だけでなく顧問やコーチもそれを共有しています。いや、むしろ指導者のほうが強くその想いを持っていることも多いのです。

 そうすると、いじめや「部活動虐待」が正当化されたり、それが人権侵害だと意識することが少なくなってしまうのです。被害者自身も、「自分ができないのが悪いんだ。」などと感じがちだと思います。そのため、保護者や担任やスクールカウンセラーに相談したり、被害を訴えることがひかえがちになってしまいます。

 

 また、被害者の話を聴いて時々感じるのは、顧問やコーチが、凝集性、良い言葉で言えばチームワークや団結力を高めるために、一人をいけにえ、スケープゴートにしてしまうことがあるように思われます。能力が低い部員、やる気が少ない部員、言動が遅い部員等を顧問が率先して厳しくつるし上げたり価値下げを行うことで、競技や活動の意義やチームワークを高めることもしているように感じられます。これは明らかに人権侵害だと思います。その競技の能力が低かろうがやる気が少なかろうが、いけにえにされるいわれはないのです。

 

 これらは熱心な部活、顧問で起こる確率が高く、大会等で優秀な成績を残している部活ほど、この恐れが高まるように感じます。

 

 そしてその優秀な結果、が、また曲者なのです。連続して国体や県大会で好成績を残している部活の顧問は、職員室での権力が増します。特にその教員がベテランだと、若い教員は何も言えません。管理職すらそうなっているケースもあるようです。保護者もやはり抗議しにくいようで、モンスターペアレントという保護者が学校に無体なクレームを言ってくる事例もありますが、子ども、あるいは部活動を人質にとられていて何も言えないと訴えてくる保護者もいました。

 そのような権力構造で、部活動での人権侵害が見逃されることもあるのではないでしょうか。

 

 さらにさらに、スポーツや芸術では、しごきや体罰が容認される傾向があることも、部活動トラウマを引き起こしやすい要因でしょう。近年はだいぶそのような傾向が批判されていますが、部活動という閉鎖的で凝集的な空間では前時代的な指導法がまかり通っている例も聞きます。

 結果が出ていたり、きびしい指導に感謝する部員や保護者もいるので、顧問やコーチも苦しんでいる人を意識しにくいという状況もあると思います。

 

 

 こうして「部活動トラウマ」の問題を考えてみると、クライエントさんの問題というより、部活動というシステムの問題という気がします。そうすると、クライエント個人ではなくシステムを変えたほうがトラウマを生み出さないとも言えるでしょう。しかし私は一介の心理療法家に過ぎないので、個人として「部活トラウマ」に対しどうしたらよいか考えています。

 

 まず、認知的な面ですが、自分の現在の苦しい状況の出所が部活での理不尽な扱われ方だと認識することです。部活動トラウマでは、顧問や他の部員から、能力ややる気のなさを責められてなることがあるので、自分に非があると(卒業数年しても)思っていることがあります。また、その自分に非があるという想いだと、自分のつらい感情が部活由来だと認識していないこともあります。まずは自分は部活動で理不尽な目にあったと認識することです。

 第二に、その認識からくる感情を認識することです。悲しみや切なさも大事ですが、やはり「怒り」の感情を認めることが大きいようです。それは自分が部活で理不尽に扱われたと認識した「今の怒り」もそうですし、「当時を振り返って怒ってもよい」という認識です。

 自分は部活でそんな風に扱われるべきじゃなかった、人権侵害された、という思いを持っていきましょう。

 その第一歩と二歩の後は、セラピストによって扱う技法は様々ですが、トラウマケアで必要とされる方法は有効でしょう。イメージで怒りを出したり、身体活動から癒したり、等々があります。

 

 

 また、そもそもトラウマになる前に、部活をやめるということも、現役の学生さんは考えていきましょう。特に勝利至上主義や、閉鎖的、凝集性が高い、顧問や先輩やレギュラーがいばっていて権力構造があるというような部活は、危険が高いようなので、こだわらずやめても決して恥ではありません。

 部活に限らず本当にしっかりしている活動や指導者は、外部からの目や指摘を拒絶しません。保護者も正当な批判や疑問をぶつけてみて、何の変化もないようなら、そのような部活に子どもの残す必要性はないと思います。

 

 もちろん、部活動は、学生の重要な活動であり、トラウマどころかよい思い出となり、人生や自分自身を学べたという、大きな寄り所や成長の過程として残ることも多いです。そこで出会った友人とは生涯の親友になるかもしれません。また、あまりお金がかからず、家庭状況にあまり左右されずにスポーツや習い事ができるという意味でも、部活は子どもにとって大切な活動であるという面があります。

 

 やはり部活動そのものが問題というより、トラウマを生み出しやすい構造を持った部活を避けるということが重要なのでしょうね。