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ムーミン谷のカウンセリング⑩-中間をつなぐセラピスト、トゥティッキー

 今回は、出番は少ないのに印象的で不思議な魅力を持つキャラクター、トゥーティッキについてです。日本語訳では、児童向けにしたせいか、おでぶさんとかおしゃまさんと訳されています。この訳はちょっとなあ、と思うので、アニメで呼ばれていたり公式サイトで使われているトゥーティッキ(Tooticki)という本名(?)に統一します。

 このキャラは作者、トーべ・ヤンソンのパートナー、トゥーリッキ・ピエティラという女性がモデルで、トーべ・ヤンソンの人生の支えになった人だそうです。

 二人の個人的な関係性でトゥーティッキを考察することもできますし、精神分析的な理解としても面白いかもしれませんが、私の個人的な好みでは、作者の個人的な心理や精神構造というより、作者を通じて出た普遍的で多くの人のこころにある姿としてキャラやストーリーをとらえたいと思っています。

 そこで、このブログでも、二人の個人的な関係やトーべ・ヤンソンの個人的な経験や内面からの考察ではない方向になります。

 

 さて、私は一度、もっともカウンセリング・心理療法に近いお話として取り上げた「目に見えない子」についてのブログでトゥーティッキについて少し触れました。

 

   「トゥーティッキは現代でいうところの民生委員とか児童相談所の職員といったところでしょうか。

    このキャラクターはとても面白い存在で、『ムーミン谷の冬』ではムーミン谷の住人はほとんど

    冬眠しているなかでも起きていて、やさしくというよりわりとドライにムーミンを導き成長させ

    る役回りとなります。穏やかに安定しているムーミン一家と外のきびしい世界とをつなぐ役目な

    のでしょう。」

 

 と書きました。「目に見えない子」では、虐待を受けたニンニという少女をムーミン屋敷に連れてきます。ニンニを癒したのはムーミンママとミイを中心としたムーミン一家です。トゥーティッキは、連れてくるだけの役。ムーミン一家がニンニを癒せると見立てて、適切な人たちにリファー(臨床心理では、ほかの専門機関に依頼や紹介すること)をしたのです。傷ついたニンニとムーミン一家をつなぐ役目をしたのでした。

 また、『ムーミン谷の冬』では、ムーミン谷の住人はほとんど冬眠しているなかで起きて生活していて、恥ずかしがり屋で姿を見せない冬の住民たちの世話をやいています。目覚めてしまったムーミンにも冬の世界を教え導いてくれます。

 しかし、トゥーティッキの世話のやき方は、あまりやさしいものではないのです。ちょっと突き放した感じというか、絶妙な距離感なのです。

 たとえば、ムーミンが秋にはリンゴがなっていたとごきげんを取るように言っても「でも、いまでは雪ばっかりね。」とそっけなく言います。

 また、正体不明の冬の生き物についてムーミンがいろいろ聞くと、

 「なにもかもききだそうとするもんじゃなくてよ。あの子たちのほうでは、ひみつをまもりたいのかもしれないものね。」

 「あの人は、だれにも知られないでくらしたいと、こうねがっているんだもの、あんたを紹介するわけにはいかないのよ。」

 などと、さびしがるムーミンを直接なぐさめたり、冬の住民との間を取り持って仲よくさせるなどといった、べたべたしためんどうはみないのです。でもけっしていじわるで冷たいわけではないのです。ムーミンと冬の生き物の仲を取り持たないのは、はずかりがりやな生き物への配慮ですし、むしろ思いやりなのです。

 そして人の関係というのは理解し合えないのが当たり前、さびしいのが当たり前、という人生哲学をもっているようです。いや、人の関係だけでなく、世の中とは理解できないものであいまいで白黒つかないものと思っているのでしょう。

 「ものごとってものは、みんな、とてもあいまいなものよ。まさにそのことが、わたしを安心させるんだけれどもね。」

 「なにもかもたしかじゃないのね。」

 

 このトゥーティッキの姿勢は、ムーミンを一歩大人にします。最初ムーミンは夏とちがった暗い冬を嫌います。暗いとは光がないこと、つまり「見えない、わかりにくい、あいまい、理性的ではない、理屈が通じない」、という世界です。ムーミンはその状態に、腹を立てます。こんなの本当の世界じゃない!と、とても自己中なだだをこねます。トゥーティッキは「だけど、いったいどっちの世界がほんとうだか、どうやってわかるの。」とムーミンの常識、価値観をゆさぶります。

 とはいえ、上記したようにトゥーティッキは決して冷たいわけではなく、気の小さい冬の生き物のめんどうをけっこうみてくれています。寒波の象徴ともいえる氷姫が来ることをいち早く察知し、凍死しないようみんなに注意をうながします。嫌われ者のモランにも、「あの人は、火をけしにきたんじゃないの。かわいそうに、あたたまりにきたのよ。」とモランの状態を理解し同情もしています。

 ムーミン対しても、冬を知らないムーミンに冬について説明し、他者とは分かり合えないと諭してくれ、冬の世界を見せていきます。

 ただトゥーティッキがするのはそこまでなので、ムーミンは自分でその冬を生きて解釈していかなくてはいきません。そのうち、ムーミンは自分たちとはちがう個性を持った相手を理解しないまま尊重すること、自分の理性で理解できる範囲には限界があること、あいまいさに耐えむしろそれを楽しめること、を学び人生観も変わっていきます。

 子どもっぽさとは、光と闇、善と悪、正と誤、という単純な二元論に立ち、しかも自分が光、善の側にいるという自己認識のことと言えるでしょう。その幼稚な自己愛から成長し、自分も世界も中間的なものでしかないという理解が癒しを生みます。

 春が来ていつもの(夏の)メンバーであるパパ、ママ、スノークのおじょうさんと再会した時、ムーミンはこれまでにない強さを持っているのです。

 

 この姿勢は、ムーミンママとはまた違うカウンセラー、セラピストの要素の一面だと思います。ムーミンママの包み込むようなやさしさと気配りは確かにセラピストに必要なのですが、それだけではこころの傷は癒されません。ニンニのエピソードでは、ミイの強烈な主張とパパのいたずらが必要であったように、善でも悪でもないものがいるのです。トゥーティッキはママとミイの要素を持ちその中間にいるようなキャラクターで、私は個人的には一番セラピストやカウンセラーに近い性格だと思っています。セラピストやカウンセラーに包み込むようなやさしさを求めると、冷たく感じられるときがあるかもしれません。我々はママではないので、手取り足取り世話をやくわけではなく、距離を置いてその人の成長や癒しを見守るだけのときもありますし、一面的な価値観からの表面的な同情はしません。

 

 ムーミンはもう二度と春が来ないと勘違いしていました。まさしくうつ状態のときの絶望のようですね。春がきた時、ムーミンはトゥーティッキに、どうしてまた元の世界が戻ってくることを言ってくれなかったのかと問います。彼女は「どんなことでも、じぶんで見つけださなきゃいけないものよ。そうして、じぶんひとりで、それをのりこえるんだわ。」と答えます。セラピーもまったく同じです。ムーミンは包み込むようなやさしさのママの元にいては、むしろ癒されたり成長することはないのです。

 

 さて、トゥーティッキの特徴はこのように、距離をおいて相手の自主性を尊重し、あいまいさを大切にしているという点です。そして、このあいまいさの尊重は、もう一つのセラピスト的な特徴、「中間をつなぐ」という役割を果たしていきます。

 最初に紹介した、ニンニをムーミン一家のもとに連れてくるというのが象徴的ですね。つなぐ役目。しかし、ニンニとムーミン一家を、人の心理的な世界、内界のイメージと考えることもできます。意識と無意識と考えてもよいでしょう。傷ついた主体(自我)としてのニンニがいます。しかし、その同じ子どもの中には、癒す存在(無意識)もいるのです。それらをつなぐ役目がトゥーティッキと考えると、我々セラピストの役目に非常に一致してきます。

 虐待のような強烈なひどい体験をさせられると、当然ですが傷ついたこころは固着してしまします。傷やひどい体験以外に目が向かず、何度も何度も、その傷を見つめてしまいます。しかし自我が固着し動けなくなっていても、無意識にはその反対の力、癒しと回復のための力が動いているのです。こころの傷の多くは、セラピストの力で癒すとか治すのではなく、クライエントさんの内にある自然治癒力で回復していくことが多いのです。しかし、その回復する自然力と絶望している自我とをつなぎ、回復力が働くように整えるのが我々の役目なのです。

 また、無意識は一面的で画一的な自我を成長させる力もあります。たとえば、勤勉なことはよいことだ、正しいことだ、という自我を持っている人にとっては、怠けることは悪であり無意識的になります。自分の中にある怠惰な面は、意識されなくなり、それゆえあいまいになります。自分の怠惰な面に気づいてもそれを悪や劣等と感じ、自己否定や自己嫌悪に至ります。またはごまかして言い訳をし、あいまいにしてしまうのです。また、外部に目を向け、怠惰な人を見ると、それは悪や劣っているものと感じられます。ムーミンにとっての冬のようなものですね。しかし、勤勉な面が強くなり一面的になりすぎると、生き方が硬直し生きにくく、対人関係や心理的な問題となってきます。そのときには、これまで悪や劣っているとして認めてこなかった怠惰の価値を認め重視し、身に着けていかなくてはなりません。辛く苦しい過程ですが、それこそが癒しや回復となるのです。

 これは異文化や異民族への理解と尊重も同様です。自分たちとは違う風習や考え方を持った外国人や異民族は、訳が分からず危険で劣ったもののように感じる人もいます。ムーミンが冬の生き物たちを理解しがたく感じ怒りを抱いたのと同じです。しかし、その考えは極めて画一的で硬直したものです。自分たちが正しいという価値をゆるめ、自分と相手の中間を求めることに、対立を解消し癒される価値があるのです。

 

 トゥーティッキは夏にも冬にも活動していて、ムーミンに冬の価値観を伝えたように、セラピストはクライエントさんがこれまで認めてこなかったもの、軽視してきたもの、悪としてきたものの価値を見出して身に着けていくことを応援します。そのためには、トゥティッキのように、中間にいてその両方の世界を知らなくてはなりません。すべてがあいまいである意識と無意識の間にいて、一面的ではない価値判断をすることが求められます。

 

 少し距離をとった面倒見のよさ、中間をつなぐもの、という特徴をもったトゥーティッキは、ムーミンのキャラクターのなかでももっともセラピストやカウンセラーに近い存在と言えるでしょう。そしてその存在や特徴は、あらゆる人の中にいるのだと思います。

 

文献

トーべ・ヤンソン 山室静(訳)『ムーミン谷の冬』 講談社

トーべ・ヤンソン 山室静(訳)『ムーミン谷の仲間たち』 講談社

 

ムーミン公式サイト トゥーティッキの紹介ページ

https://www.moomin.co.jp/characters/tooticky